声が聞きたくて・・・2006/02/23 08:33

 夕方、電話がなったので出たら、とてもなつかしい人からだった。

 その人は、私が小学校5年から中校生くらいまで、油絵を習っていた女性。
お年玉付年賀状の整理をしていて、ひょっこり私の賀状を見つけて、かけてくれたらしい。

 当時、家族で住んでいた家の近くに美大があって、そこに母が電話して、学生さんのアルバイトで、週に一回ぐらい油絵を子供に教えてくれないか・・・ということで来たのがその人だった。きょうだいと習っていたピアノが苦痛になり、やめてしまった私に、父が油絵の道具一式を、わざわざ外国から買ってきてくれたのだ。

 「先生」と呼んだら笑われてしまったので、母と相談して、「お姉さん」と呼ぶ事にした。
(今もそう、呼んでいる)
考えると、私と9つ位年が離れていたのかな。小学生からしたら、立派な大人だったけれど、絵については対等に話が出来るのも嬉しかった。

 毎週毎週、色んな油絵を描いた。室内だから、静物が主だったけれど、きょうだいをモデルにしたり、自画像を描いたこともある。確か黒は使わないで描いてごらん、といわれて、ずっとそうしていた気がする。
黒が使えないと、いろんな色で影の部分を描くことになるので、結構面白かったかな。

 時々美術館に連れて行ってくれたりして、そういう時は館内の喫茶室で何かをご馳走してくれたっけ。難しいことは分からないが、絵を見ていると、画家の視点に立てるというのか、画家が切り取った風景の中に自分も入り込んでいけるようで、子供心に、とても楽しかった。ゴッホが好きなのは、その人の影響かな。セザンヌも割と好き。印象派から始まり、最近はマチスとか、カンディンスキーなんかにも興味は向いているんだけれどね。

 私が今、こうして、つたないながらも絵を毎日描いている原点は、あの日々にあったんじゃないかなぁと思っている。子供ながらに、静かで穏やかな、とてもいい時間を過ごしていたと思う。

 今でも展覧会があると、ごく自然に足を運んでしまうのは、その時の影響かも。
(まぁ、今は猫も杓子も展覧会には行くよね。一体この人は、絵を見ているのか、一緒に来た友達と話しに来ているのかって人も結構いるような気がするけど、どんなもんでしょうか)

 さて、その「お姉さん」は、私の「声が聞きたくなって・・・」と言って電話をくれたのだが、それって、一番嬉しい言葉じゃないかな・・・。

 また会いたいね・・・って。
お互い、住まいは遠いし、仕事や家族、諸々の忙しさにまぎれて、なかなか会えなくても、こうして時々私の声が聞きたくなるという、なつかしい知り合いがいるって、なんだかとても素敵だなぁと、ほんわかした気持ちになった。
これからも、このブログで、楽しみながら毎日絵を描き続けよう。

 また別の、今は亡き絵の恩師に、
「絵は何をどのように描いても、絵になります」というのもある。
結構いい言葉だなぁと思って、絵を描く時に心の片隅にいつもおいているんだ・・・。

コメント

_ DryGin A ― 2006/02/23 14:21

 ご無沙汰しています。DryGin Aです。

 お姉さん先生の電話、嬉しかったですね。私に先生はなかったけど、絵についての話し相手になってくれる人は居ました。年の差は20以上ありましたが、熱心な語り手で批評家で、私の絵を誉めたり貶したり真剣に相手をしてくれた。もう30年以上会っていません。声も聴いてない。

 そうそう、私も絵を描きます。
 いつもこのページを楽しみにしています。

_ DryGin A ― 2006/02/23 16:39

 何度読んでもこれって好い話ですね。

 私も中学、高校の時は油が主でした。でも、描く気になって描きはじめるまでに描く気が頓挫するのを、何回か経験して、水彩に転向しました。油絵道具をひろげておけるほど家が広くなかったので、自然とそうなってしまいました。高校の頃は美術室にこもることで問題はなかったのですが…。

 美術館や展覧会で、子どもを連れたお母さんが、一生懸命解説している風景に出遭います。それが借りものの言葉ばかりだと悲しくなる。子どもは大人の素直な感動に敏感です。ですから9つ違いのころさんのお姉さん先生は、ほんとに好い存在だったと思います。そろそろ私もまた描きだそう。

_ ころ ― 2006/02/23 17:12

 一本の電話で急に忘れていたことを思い出したんです。
 そうですか、美術部・・・。私も高校は美術部でした。同じ学年は3人だけでしたが、他の2人は美術関係に進んだみたい。私はそれ程才能がなくて、別の進路になりました。
 油絵ってなかなか乾かないので、確かに一部屋占領してました。独特の匂いがあるでしょ。家族にくさいとか、文句を言われたことも・・・。
 上に何度も重ねていけること、すぐに完成しない事が、当時の私には合っていたようです。
今はこのブログのイラスト程度のすぐ描けるものじゃないと、ちょっと続かないかも。でも、またいつか油絵も描いてみたいなぁ。
道具は、ちゃんと、しまってあります。
  他界した絵の師匠の方は、私が子供の時に、もう相当なおじいさんでしたが、亡くなるまで、文通を続けていました。好きな事に年齢は関係ないし、子供扱いしない大人の存在は貴重。子供は意外と色々分かってるものですよね。ついつい、自分が大人になると忘れちゃうけれども・・・。

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