夏の読書2007/08/09 15:29

 ご主人を春に亡くして未亡人になられたばかりの60代の女性が、看病している時から、
「なんだか小説って嘘っぽくて読む気がしなくなっちゃって・・・。今はノンフィクション専門なの。」
と話していた。

 考えてみると私も、半年ほど、高齢の家族の介護に追われていた間は、小説をゆっくり読むような時間が取れなかった。

 大好きなS.キングのダークタワーシリーズも、文庫で買いながら、まだ読んでいない新作が数冊家にあるし、原書で読みかけたものの、そのままだ。

 現実が厳しいと、小説の架空の世界に遊ぶという余裕もなんだかなくなってしまうのか、気付くと、つい最近まで、新書だとか実用書、いかに生きるか、あるいは死ぬか的な本とか、健康に関する本や、ハウツーものの、「柴犬の飼い方」なんて本ばかりを買って読んでいるのだ。

 介護に明け暮れていた当時と、今との違いとは、たとえば、朝、ゆっくり新聞を読む時間があること。

 文化欄や、本の広告などにまで、ひとつひとつ丹念に目を通し、あ、これ面白そう、読んでみようかな・・・と思うと、即行動に出て、ネットで注文したり、書店に買いに行くことが出来ることかもしれない。

 今日はそうやって新聞で見つけた、パール・バックの「神の火を制御せよ」という小説を買って来て、読み始めたところ、非常に面白く、ぐいぐいと引き込まれていった。
考えると、本当に久々の小説だ。

 この本は、原爆を作っていた科学者を取材して書かれた小説で、1959年にアメリカで出版されたそうだが、戦後の日本人には受け入れられないだろうと、当時のアメリカ人は考えなったらしい。
欧米では、この本が、60年代の反核運動に影響を与えたそうだ。
(8/9朝日新聞朝刊の文化欄より抜粋)

 この夏、出たばかりの日本語訳で読むか、原書で読むか、かなり迷ったのだけれど、文系出身で、そうじゃなくても不勉強な科学の小説なので、日本語の方がまだいいだろうと、翻訳本をチョイスした。

 科学者の名前や、専門用語に細かく、しかもそのページに注釈がついていてとても親切なのだが、それでも素人には、???というところもある。
やはり翻訳本で正解である。

 読み終えてからまた感想を改めて書いてたいと思うけれど、こうして小説を(たとえ、現実に起こった出来事を取材によって書いてあるにしても)読もうという気持ちになった自分が嬉しかった。

 そういえば、先に書いた友達も、先日、未亡人仲間3人と、「ハリー・ポッター」の新作映画を見に行くんだと、うれしそうにしていたっけ。

 ただ純粋に本を読むという楽しみに、また帰ってこられて、本当によかったなぁと、妙にしみじみと感動してしまった夏の午後・・・。

 夏の読書っていうのも、なんだか夏休みの宿題っぽくていいかも。