ダリ回顧展2006/11/10 06:57

 話題のダリ回顧展に行って来た。

 なんと、友人が招待券が当たったからと一枚送ってくれて、それでただで見ることが出来たのだ。

 平日の3時以降はすいているとのことで、3時過ぎに会場へ。
クロークに無料で荷物を預け、500円の音声ガイドを借りて、中にすんなり入った。

 最初はすいているなと思っていたが、やはり徐々に人が一杯になっていく。
普通美術館というのは、絵の周囲に人垣が出来、また次の絵の周囲に人垣(それもまばら)が…というイメージがあるのだが、混んでくると、横並びで次の絵の方にまで連なって進もうとする人が多い。

「すいている絵からご覧ください」
と、案内の人は言うのだが、音声ガイドの順番でとか、色々考えると、なかなかそうはいかないらしい。

 私はといえば、空いている所やちょこっと隙間の空いているところから、ダリの絵を見ながらずんずん進んだ。

 NHKの「迷宮美術館」という番組で、以前ダリを紹介していたので、同じ名前のお兄さんが死んでいることや、それによる家族(殊に父親)との確執、年上の奥さんとの強い絆、渡米してからのセンセーショナルなメディアへの登場などの背景を踏まえつつ、見る事が出来た。

 私が子供の頃のダリのイメージは、「変なおじさん」の一言で集約されてしまう感じだし、そうなると、絵も「変な絵」という一言で終わってしまう。

 でも、大人になって初めて実物を見てみると、まずはその絵の小ささに驚く。
それと目を引くのは、鮮やかな色合い、そして、緻密な描写。

 ダリの絵は色んな細工がなされているので、人物の鼻を良く見ると、そこに妊婦がいたり、目の中に人がいたりする。

 そもそもの絵のサイズが小さいので、その目の中や、鼻にある人物はさらに小さくなる。
出来ることならば、双眼鏡でもって、それらの小さい人物を見てみたいという衝動にすら、駆られてしまった。

 長ったらしいタイトルがあったり、ぎょっとするような配置やデフォルメがあったりする、いわゆるシュールレアリズムのダリの絵なのだが、音声ガイドの解説を聴きながら見ていくと、奇抜さと言うよりは、描いている内に、自然とこうした構図になっていったのだろうなぁと、妙に納得させるものがあった。

 前衛的な芸術を見るというよりも、何だか非常に心安らかな気持ちで、ダリの絵が見られたのは、なんとも不思議な感じであった。

 それまでの、ちょび髭がピンと立った、とんがったような「変なおじさん」のイメージが、彼の絵画を見た後には、非常な繊細さと、物理・科学などの分野への好奇心と探究心を併せ持った、とてもナイーブな画家というイメージにすっかり変化してしまった。

 図録やポストカードも買いたいとは思ったのだが、やはり実物を見た後は、色合いの違いや印象の違いは否めないので、いつもどおり実用的なクリアファイル大小二枚のみを買って、会場を出た。

 ほんの小一時間位だったが、日常生活からすっかり切り離されて、ゲージツを味わえた、なかなか充実したひとときだった。